浮雲
今日のおすすめは、二葉亭四迷『浮雲』(岩波文庫)です。
主人公の青年文三は勉学に励み、役所へ就職し、
美しく教育のある下宿先の叔父の娘お勢と
果ては結婚するのではと思われる仲でした。
ところが、文三が職を失い、
文三の元同僚が恋敵となってあらわれ、
周囲の冷遇、嘲笑と状況が変化していきます。
筋だけで言えば他愛のない青春物語ですが、
よく知られているとおり、『浮雲』は
初めての言文一致の小説として有名です。
坪内逍遙に助言をもらいながら
それまでの漢文、和文での表現を乗り越えて
新文体を確立したこの小説は
時代を画するものであったことは間違いないと思います。
本書は全部で3篇でできています。
第1篇は句読点もない文章ですが、
第3篇ではほとんど今私たちが読むものと変わらない文体になっています。
では第1篇が読みにくいかと言うと、
決してそうではありません。
リズムがあって広汎な語彙から編まれることばの数々に
引き込まれながら先へ先へと読み進めることができます。
言文一致はすばらしい発明であったけれど
その前に漢文の教養があってこれだけの文章が書かれていることは
否定できません。
ところで、印象に残った場面が第3篇に出てきます。
文三の失職でお勢やその母の心が変わってしまった様子を悔やみ、
「以前のような和らいだ所もなければ、沈着(おちつ)いた所もなく」
「以前人々の心を一致さした同情もなければ、私心の赤を洗った愛念もなく」、
皆自分勝手にふるまっていることを嘆くのです。
解説の中村光夫は、二葉亭を、その生涯を通じて倫理の問題に苦しんだ作家であるとし、
『浮雲』に意図したものは、単に世相の描写でなく、
「日本文明の裏面」に対する批判であったと書いています。
明治になって世の中が激変し、人の心が変わっていくことを
この時代の文学者が危機的な気持ちを持って見ていたことがわかります。
それは今も私たちが抱えてさらに抱えきれなくなっている問題であるように思います。
作者の意図は別にしても、文章の歯切れの良さ、
ユーモアに思わず笑ってしまうところも多く、とても楽しめます。
一読をぜひおすすめしたい1冊です。