人権という幻

今日のおすすめは、遠藤比呂通著『人権という幻~対話と尊厳の憲法学』(勁草書房)です。
憲法学者だった著者は36歳で大学を辞め、大阪・西成で弁護士になります。
本書は、「人権は理論的には正しいけど、実践には役に立たない」という、
「学問」の世界と「実践」の世界で共有されている命題を乗り越えることを
真剣に考え、実行し続けている著者による憲法学の本です。

タイトルにある「幻」とは“vision”であり、
著者は日本社会が共有すべきヴィジョンを持つには、
まず苦しみを受けた人が持つ記憶(原風景)を受け止めることが大切と言い、
本の多くは西成の地でかかわった裁判について割かれています。

そのひとつに戦時中に海軍軍属として召集された鄭商根という男性の裁判があります。
鄭さんは戦争で重度の障害を負い、戦後も日本のために怪我をした人間として
韓国に帰ることもできず、日本で廃品回収をしながら生きてきました。
ところが、軍属に支給されるはずの補償金の対象から外されたため、
国を訴えたのでした。
訴えを退けた地裁の言ったことは、鄭さんのような立場の人の権利は
日韓の外交交渉に委ねられたというものでした。
しかし、外交交渉が行われたという時は朝鮮戦争のただ中であり、
これがフィクションであることは明白でした。

一審後に亡くなった鄭さんの訴えは親族に引き継がれ、
最高裁まで争います。
ここで要請されているのは、日本が兵役の義務を朝鮮半島にまで及ぼし、
徴用した人々への最低限の保障責任を果たすことではないのか
との著者の問いかけに、
最高裁判所は一言も応答することなく、上告は棄却されました。

マンションの立て替えで終の棲家を奪われた高齢者のこと、
法の制定過程で「強制されることはない」と言っていた国旗・国歌法が
いつのまにか強制となり、処分された先生のこと。
それらの裁判を通して見えてくるのは、対話の拒絶です。
処分された養護学校の先生の、
「国のために役立つという考え方が、自分なりに生きていく生き方そのものを否定するのであり、
それは障害児教育の終焉をもたらすものである」との証言は、大変重いと思います。

このような絶望的にも見える状況のなかで、
著者は弁護士と法学者として、
何度も何度もあきらめずに対話の継続を試みています。

読み返さなければ理解できない難しい箇所もありましたが、
これから法律の分野で働く人には読んでいただきたい1冊です。

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