「海の道」の300年
今日のおすすめは、武田尚子著『「海の道」の300年
-近現代日本の縮図 瀬戸内海』(河出ブックス)です。
「海の道」は、漁業の発展と関わってきた道であり、
人・物を運んだ道であり、工業化の発展を助けた道でもあります。
「海の道」には、近世から近現代の、日本の変化が象徴的に表れています。
中でも著者が焦点をあてたのは瀬戸内海の小さな島「田島」でした。
田島では近世にはすでに九州まで捕鯨の出稼ぎに行っていたこと、
それだけ漁に巧みであり、大網という特殊な網を使い、
網の商いでも成功したことが書かれています。
明治に入ると、田島の人々はマニラに「海の道」を伸ばします。
互いに助け合いながら外国の地で漁業を続けようとする田島の人々に、
少し前のひたむきな日本人の姿を見ることができます。
第二次大戦の敗戦によってマニラでの操業は終わりを迎え、
「海の道」瀬戸内海は石炭の「エネルギー輸送の大動脈」から
さらにオイルショックを経て
石油の「エネルギー搬入の最終航路」に変わっていきます。
そして、島は大きな問題に直面します。
LPGガスの基地が建設されることになったのです。
海中に冷却水を放出することで漁業に大きく影響することを知った漁民は
反対運動を起こしていきます。
この運動のきっかけとなったのは、
村の神社にある樹齢数百年のムクの樹2本の伐採計画でした。
一人の若者が、お年寄りが「お宮の木を伐ってはいけない。
神様を裸にするようなものだ」というのを聞いて、
伐採をやめさせるよう運動を始めます。
これまで「話し合い」で決めていた集落の手続きを踏み外し、
有無を言わせぬ町議会議員のやり方に反発は募り、伐採はとりやめになります。
さらに起こったLPG基地建設反対運動を成功させた中心人物は
むらの「うた」の伝承と関わってきた人でした。
「うた」とは盆の音頭取りで、
お盆にやぐらの上に立ち、太鼓を打ちながら新盆の死者一人ひとりについて、
生前の出来事、思い出を朗唱するもの。
人々はやぐらの周りを踊りながらその物語を聞き、死者を思い出し、
泣いて供養をするのだそうです。
“そのような「根の世界」が集落社会の未来のために捨て身で尽くす運動を支えていた。”
と著者は書いています。
「海の道」は大きく変化をしたけれど、
“人々の支えになり、守るべきものとして具体的に意識されたものは、
村の神木であり、むらの「うた」を介して実感している生者と死者の「つながり」であり、
「聖と俗」の時間・空間を共有している仲間だった。”とあります。
社会学者の著者は、研究対象である小さな島の人々にきちんと寄り添い、
血の通った著作にしています。
政治家が用途を偽って村人のみかん畑の売却をとりつける場面では
「服従の代償に置いていったものは揮毫や掛軸だった」と
怒りの筆になっています。
小さな島で起きた変化は近代化日本の縮図であり、
読んでおくべき1冊でもあると思います。
ただ、貴重な記録でもある本書が、もう少しだけ
一般向けに書かれていたらと惜しい気持ちがします。
それでもどこかでこの本に出会うことがあれば、
比較的読みやすい第8章と「結び」だけでも、
この労作の著者の思いに触れることはできると思います。