確率論と私

今日のおすすめは、伊藤清『確率論と私』(岩波書店)です。
この本を読んだのは、新聞で論説委員が書評されていたのがきっかけでした。
その書評には、著者の生み出した「伊藤理論」が金融の世界で使われたこと、
ご本人は普通預金のみの「非金融国民」であり、
経済競争の道具になっていることを喜ばなかったことが書かれていました。
自分の理論を心ならずも金融の暴走に使われてしまった数学者とは
一体どんな人だったのだろうと思い、読んでみました。
本書には、そのことを人から聞かされ、驚きと非常な戸惑いを持ったことが
書かれています。

著者の専門である確率論は、
16世紀に賭けに関する数学として使われ始めたもので、
今日のような純粋数学の一分野になったのには
著者が大きな貢献をしたことがわかります。

その著者は、現在の数学教育について、
「数学者は純粋数学をやるだけで忙しく、その根となり、芽となる科学をやる暇はない」ことを憂慮しています。
そして、遊び道具も自分で作った田舎での少年期を思い、
「自分の手に入るものは、完全に自分で理解でき、コントロールできるものであった。それで数学でも、手にとるように、目に見えるように、理解するのでなければ楽しくない」と言います。
完全に手中のものであったからこそ、
世界の研究者とともに偉大な業績を残せたのだろうと思いました。

著者は80歳の誕生日から「森の人」という物語を書き始めます。
それは、「核の冬」を生き延びた2万年後の人類が新しい価値観を持って
森に再生するという物語であり、
「人間らしいサピエンスの森の価値は、いかに強力な武器を持つかによって測られるのではなく、いかに多くの人々が詩人で在り得るかによって測られなければならない」のだそうです。
金融商品とは対極にある、ただ純粋に確率論に心惹かれた著者の精神がここにあると思いました。

確率論の中身についても多く説明がありますが、
数式も理論に使われる言葉もとても理解はできませんでした。
そのような読者ではこの本を読むにはふさわしくないのかもしれないと
読みながら思いましたが、読了してみると、
純粋数学に生涯を捧げた人の思いに門外観でも触れることのできる
エッセイというものに感謝したい気持ちになりました。
そして、いつか数学を志す人と接する機会があれば、
この本を必ず薦めようと思いました。

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