聖武天皇 ~責めはわれ一人にあり

今日のおすすめは、森本公誠『聖武天皇 ~責めはわれ一人にあり』(講談社)です。
東大寺長老である著者は、聖武天皇が都を次々と変えたことなどから、
“ひ弱で優柔不断な人物”という評がされていることに疑問を持ちます。
そのような人物がどうしてこの巨大な大仏を造ることができたのか--
その素朴な疑問から、もし批判の的になっている天皇像が虚像とすれば
実像を見いだすにはどうしたらよいか考えます。

その方法として著者が選んだのは、
聖武天皇が遭遇した問題を、自分ならばどう判断して処理するかと
本人の立場に立って考えてみることでした。

どうせ東大寺大仏を発願した天皇をひいき目に見るだろうという批判は承知しつつ
著者は、この方法論でぐいぐいと実像に迫っていきます。

聖武天皇の時代、干魃・大地震・疫病と、天災が次々と起こります。

天皇は、農民救済、貧者救済、そのための財源を
財政支出を簡素化することで捻出するなど、
次々と具体的な対策を打っていきます。

しかしその努力もむなしく人心は荒廃し、犯罪が激増する世の中を見て、
天皇は大赦を与える詔を出します。

そして、その中で「責めはわれ一人にあり」と、記します。
本書の副題にもあるように、この言葉が著者の心を打ちます。
「危うさの前から逃げようとする人間は多いが、天皇は逃げなかった」と。
天災も為政者の不徳の結果とされた時代であっても、
自分の政治に自信がなければ言えない言葉だったと著者は考えます。

干魃以来の多忙な間に書物にあたり、模索を続けた天皇は、
中国の政治思想を真似るだけではなく、
仏教にもとづく思想のほうが治世には優れているのではと考えるようになります。

国分寺建立も大仏も
天災で疲弊した人びとを救う目的からなしとげたことでした。

これだけの災害に見舞われる中で
律令国家の初期によい国造りをと必死で取り組んだ天皇の56年の生涯に、
心休まる日は少なかったであろうと
苦悩の日々を思わずにはいられません。

大仏で創建当時を残すのは、台座の蓮弁他わずかな部分だそうですが、
いつかまた東大寺に行くことがあれば、
聖武天皇のことを思いながら見てみたいと思います。

天平時代がお好きな方ならば、きっと興味深い本だと思います。

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